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- 2023.09.28 Thursday
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「なぜ書には、人の内面が表れるのか」
松宮貴之著書
長年、書道を学んできて、数年前からふと
なぜ自分が書道をしてきているのかと疑問に思っていました。
この本を読んで、雲の中から光の下に
パッと出られたような、そんな気がしています。
探してきた問いに、すべて答えをだしてくれた本。
・人間性の表現
・創作の正体
・形と意味、どちらを先に学ぶべきか
・なぜ楷書から始めるのか
・書に表された「人と成り」
・身体で覚える
・全身を使って書く
・鋪先への意識
・神品、王羲之
これらは本の中の一部で、今日生徒さん達に
本の大事なところをコピーしかけたのですが
全部が繋がっているので、少し抜粋してお話させていただきました。
本より
{私たちはみな、異なる身体状況、環境に生きていますが
「至らなさ」「今の自分に何が足りないか」というのも
人それぞれです。
「至らない」というとネガティブに誤解されますが
その至らないものを補う努力が生きるという道です。
最終的な理想形に、少しでも近づこうとして
日々規範や教えを実践し、人格を磨いていく過程で
人それぞれの道筋ができています。
それぞれの道筋が、個性です。
子供の書く字を、「童書」として尊重したとしても
その子供が20歳と成長するにつれ、悪い癖がつきます。
仙人のようにひとり山にこもって社会と遮断でもしないかぎり
この変化を避けることはできません。
人が社会の一部として、日常をいきていく以上
悪い癖がつかないよう、自ら進んで
よい癖をつけていかなくてはならない宿命を持っているのです}
これが古典を学ぶ理由のひとつです。
{ところが修練を極めるにつれ、かえってゴールが遠ざかり
道筋が長くなっていくことに気づかされます。
没頭すればするほど、奥深へと入り込んでいく。
ゴールに近づくほど、険しくなるのです。
そういった時ほど「究極の型に戻れ」つまり王羲之のイメージです。
「臨書は似ることを尊ぶが、最後になって
似ないことを求める。
その古典の精神を得られれば良いのである。
しかし臨書が進めば、観察が伸びる。
臨書と観察をくりかえしていれば、さらに成長する」}
まさに、私が師匠から言われ続けていたことです。
昨日、パステル画を学んだ時に、私はふと思いました。
パステル画とは、自由でタブーが無いものとのこと。ひとときとても癒されました。
私のいる世界は、正反対のタブーだらけ。
何十年も師匠から「ダメだし」の連続です。
それでもどうして続けているのか不思議でしたし、
何年経っても師匠のように上手くならない
自分の下手さにいつもがっかりしています。
その答えもこの本にありました。
{人づてに伝承されていく無形の芸術とは
型に習うところから始まって、最終は自分のやり方を見つけます。
学びの道筋をつけるために、よい師匠に習うこと。
よい師匠とは型、歴史を持っている人、
型の大切さを教えてくれる人。
我流で自己満足している人からは
学ばない方がよかったということもあります。
現在書道界を支配しているのが、残念なことに
我流の先生から受け継いだ書風に少しアレンジを加えただけの
我流の亜流です}
この本は、書道をするみなさんはぜひ読んでください。
ご自分がなぜ書道を学びたいか、理由がわかって
心が晴れ晴れすると思います。
至らない自分から、少しでも成長したい。
それが書道を勉強する答え、私が生きる意味であると
今までの道のりを振り返り、これからは迷わず進みます。